築地本願寺の寺基移転350年を記念に出版されました。
誕生から現在まで、築地の350年がひもとかれています。
江戸開府のとき浅草にあった本願寺が、1657年の「明暦の大火」通称「振袖火事」で焼失しました。そのとき幕府から与えられた代替地は、なんと、海のなかだったのです(下図参照)。佃門徒による埋め立てで出来た土地に建立したのが築地本願寺です。築地「築かれた地」は本願寺の歴史と共にあります。
明治維新、関東大震災、先の世界大戦など、時代の変遷ともに生きてきた歴史が記録されています。
現在の築地本願寺は、関東大震災で焼失した後、第22代宗主であった鏡如上人(大谷光瑞)の指導によって、古代インド様式で1934(昭和9)年に竣工しました。
築地本願寺の本堂正面の階段の両側に有翼の聖獣が座っています。神社にある狛犬(コマイヌ)と似ていますが、犬ではなく、迦楼羅(カルラ)という仏法を守護する八部衆の一つといわれています。
左の写真は吽(ン)像と呼ばれ、口を閉じています。右の写真は阿(ア)像と呼ばれて口を開いています。アは梵語(古代インド語)の最初の音で口を開いて発音します。ンは梵語の最後の音で口を閉じて発音します。万物の始まりと終わりを象徴しているものです。「阿吽(アウン)の呼吸が合う」といいますが、共に一つのことをするときに、微妙な調子や気持が一致することをいいます。
武州豊嶋群江戸庄図
(東京都立中央図書館蔵 築地本願寺本堂壁に写真掲示がある)
1632年(寛永9年)の地図、通称「寛永江戸図」、三代将軍家光の時代で日本橋以南の埋立が終わり、本願寺は上図では、日本橋の横山町2丁目のところに「本願寺御殿」と記されています。浅草御門内にあったので「浅草御堂」と呼ばれていました。この時、築地一帯は江戸湾の海上にありました。(矢印(←)で移転場所が示されている)