会員の便り No.8
(2009.6.18掲載)
 
     エッセー「お寺に行こう」     月刊『ずいひつ』6月号に掲載
                                                  
平成21年6月18日  学習三年 久保 裕 
 築地本願寺の正門を入ると左手の角に親鸞聖人の立像があり、その左手に九条武子の歌碑がある。
 「おおいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」
 地下鉄の築地駅を出ると目の前に、本願寺築地別院がある。関東大震災で焼失した後、昭和9年に第22代門主であった大谷光瑞により再建された。日本の寺としては極めてユニークな古代インド仏教様式の石造りである。
 大谷光瑞は、シルクロードの敦煌(とんこう)など、インドから仏教の伝播経路を検証し、仏教遺跡の探検家としても偉大な足跡をのこしている。九条武子は光瑞の妹で、『無憂華(アソカ)』などの歌集が出版されている。
 今、お寺はお葬式や法事のときにしか世話にならなくなってしまった。宗教心のない日本人と世界では見られているし、多くの日本人がそう自覚しているようだ。本当は生きている人間に必要なのが宗教であり、寺院でなければならないのに、いつからか日本人には傲慢(ごうまん)と怠慢の心が育って、自然の偉大な力を恐れたり、自らが“おぼつかない”命(いのち)の持ち主である心が薄れてしまっている。九条武子は「大きな仏の慈悲の心に救われて、生死の道を迷い歩んでいく私だ」と、歌っている
 室町時代に京都大徳寺の住職になり88歳まで生きた頓知(とんち)話で有名な一休禅師におもしろい話がある。一休禅師は若いころ地位や名誉を望まず、お金めあての法事を嫌って、純粋な禅の道を求めた。
 あるお寺で住職をしていたとき、普段まったく顔を出さない檀家の主人が亡くなったというので読経を頼まれ出かけていった。亡くなったという主人の枕元(まくらもと)に案内されると、一休さんは、家の人に言った
 「金づちを持ってきなさい」
 集まっていた人は、皆、どうするのだろう、と思った。一休さんは、金づちを持つと、いきなりその死人の頭をゴツン!とたたいた。もちろん死んでいる人の頭をたたいても「痛い!」とも言わず反応はない。それを見定めると、
 「もう、遅い、手遅れだ!」
 一休さんは立ち上がって帰りかかった。家人が驚いて、
 「お経を・・・・」
 と、一休さんの衣にすがるが、
 「もう手遅れ!死人に用はない!」
 と言って、帰ってしまった。
 一休禅師は、「生きている間に仏教のお経を聞きなさい」と、言っているのだ。日ごろ、生や死のことを考えずにいる、現世利益だけを求めて自己中心的な自分勝手な人へ、仏教の基本を教えている。

 「酔生(すいせい)夢死(むし)」という言葉がある。酔いと夢の中にあるように一生を、うかうかと過ごしてしまうことをいう。快楽を求めて、生活の糧だけをかせぐことにあくせくして、物と金の価値だけに自らの欲望を満たしていくような生き方だ。
 科学と技術のめざましい進歩の中で、心の問題が置き忘れられている。医療問題も深刻な医師不足は、医療の高度化と、病人や老人を生活環境の中で看護する共同体が崩れて、医療機関への負担の増加とともに深刻な問題になっている。その上に、病人の世話をする介護や看病が外部化している、すなわち近親者たちが世話することをしない、またできなくなっている。だから病死、老死する人の85%が自宅ではなく病院死だそうだ。東京では98%になっているという数字も新聞で見た。
 家庭での見とり、在宅死が少なくなっている。老人や病人に寄りそっていく、看取(みと)り、病人の世話することの大事さが失われている、いや忘れられているようだ。そして「直葬(ちょくそう)」が増えているのだそうだ。直葬というのは、病院で病死した人が自宅に帰らずに、葬議場に直接運ばれることである。
 さびしいですね。
 ある親族の集まりのとき、親しくしていた従妹と同居している90歳になる叔母が出席していた。母を早く亡くした私にとって懐かしい叔母だった。
 「90歳になられて、どんなお気持ちですか」
 と、そばによって聞いた。
 「90歳は、私にとって初めての年ですよ」
 と、元気に言われた。90歳も、今年の一年、今月というひと月も、今日という一日を生きる「今」を大切に生きる。過去にとらわれない。現在を他人(ひと)に頼らずに生きる。その気持を持ち続けることが長寿の秘訣なのですね。
 毎日を回りの人たちと、また、一人でもしっかり生きていく、他人に頼らずに生きていく姿勢がすばらしい。心のよりどころを持っている人だろう。住みなれた自宅で、自然な姿で末期を迎えることのできる、元気な強い心を持ち続けている。

 一昨年、築地本願寺で「十年後のお寺をデザインしよう」というシンポジュームが開かれた。仏教の宗派を越えた人たちが集まって意見が交わされた。
 そのときの結論の一つは、「饒舌(じょうぜつ)な難しい説法」はなくてもいい、開かれた、お寺のコミュニティというのを、ぜひ全国のお寺に広めていってほしい、ということだった。
 お寺は観光やお葬式のためにあるだけではない。お寺の活用と活性化をもっと考えよう。かつては老人の憩いの場所、人々の集まる場所、よい縁が結ばれる人の集うところがお寺だった。どこか心が和(なご)む、心が落ち着くようなお寺院が日常生活の中にあっていいと思う。





築地本願寺(本願寺築地別院)
(パンフレットより)




築地本願寺の境内にある
九条武子夫人の歌碑










本『一休とは何か』
今泉淑夫著古川弘文館発行
の表紙
 
 一休の『自戒集』に、禅から浄土教への帰宗を表明している。一休が浄土教への帰依を明らかにした寛正2年は、親鸞聖人二百回忌法要で、本願寺へ参詣して蓮如上人と語り合った、と伝えられている。一休はその法要の席で、
「襟巻きのあたたかそうな黒坊主
 こいつが法は天下一なり」
と詠んだという記録がある。
『蓮如上人ものがたり』
千葉乗隆著