会員の便り No12 2009.11.16掲載 |
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『薔薇(バラ)とトゲ』のご法話の紹介 − 熊木さんの『大遠忌法要に参詣』の記を読んで − 専修3年 久志 律 |
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熊木さん(「会員の便りNo.11)」のおかげで以前遇ったご法話を思い出しました。 ある土砂降りの日、僧侶の方が車を運転していると目の不自由な近所の門徒さんが、ずぶ濡れで歩いていました。知っている仲なので、僧侶の方は路肩に車を停め、そのご門徒さんを車に乗せました。 送っていく途中でご門徒さんが、 「ご院さん、私はあなたがお坊さんだって知っているから言いますね。ご院さんは、私が目が不自由だし、知り合いだから車に乗せてくれたのでしょう?でもね、車に乗せてくれなくてもイイんですよ。私たち目の不自由な者は、追い抜いていく車の音に恐怖を感じるんです。だから、歩いている人のそばを車で通り過ぎる時、スピードをゆるめてもらえるだけで、それだけでイイんですよ。」と・・・ これを聞いて、僧侶の方は心を見透かされているようで何も言えなかったそうです。 私は、この話を知って、車が与える恐怖心は、歩行者の方全員に当てはまることだなと、車を運転している一人として反省し、気をつけるようになりました。 勇気の足りない私は、まだまだ小さな事しかできませんが、熊木さんを見習って自然に手をさしのべられるよう精進してゆきたいです。 それと、庭儀が始まる前の、アナウンスされた方は、とてもお優しい方だなと思いました♪ 最近、専修課程の3年生は、クラス内でよく連絡を取り合うようになったのですが、似たような話題がありました。 今年は、学習会準備と後片付けの当番ができました。 それを知って私は密かに世話人の方々は、優しいなぁと思いました。 私はけっこうグウタラなので、大勢集まると 「誰かがやってくれるからイイや。」と思って、 お客様感覚に落ち入って、のんびりしてしまう所があるんです。 でも、真宗を学ぶ上でも、そーゆー感覚ってヤバイんですね。 何がヤバイかというと、真宗のみ教えには、 「これはしちゃいけません。」、 「あーしなきゃいけない。こーしなきゃいけない。」 という、はっきりとした教えのライン引きが無いんですね。だから、いつも親鸞聖人のみ教えに沿った生き方ができているのか自分を省みながら、律していかないと、すーぐ、グウタラしてしまうんです。 自分が、世界を構成している一つなんだって事を忘れてしまうんです。 by法界縁起『この日は当番ですよ〜』のお知らせは、やるべき事を明示してくれる世話人の方々からの、とっても優しい助言だと思っています。 でも、グウタラな私は、後々、率先して行動を起こせるようにならないとダメですね。 今、在学生の世話人の方々が、予算や学習会の運営で四苦八苦されていますが、私が卒業した後、この状況を後輩達に同じ思いをさせないために、自分に何ができるのか考えると、足がガクガクです。 我らがご本山ですから、「いけませんよ」とアナウンスしても、立ち上がってカメラを構えてしまう御同行が出ることも承知の上で、逆に、今回は立ち上がる方がいつもより多かった・・・。 み教えが伝わりきっていないなぁ〜と、チェックされているかもしれませんよ。 油断大敵雨あられ♪どんな場面にも、そこから学ばせて頂ける事は、必ずあります。 最後に、熊木さんや世話人の皆さんにメールしましたご法話を紹介します。 西本願寺のホームページ http://www.hongwanji.or.jp/ 「み教えについて」のページ 2009.02.20で下記のご法話を見つけました。 『薔薇(バラ)とトゲ』 日置 宗明(ひおき むねあき)(布教使)師のご法話です。 また、冒頭の僧侶のお話は、同じく西本願寺のホームページ http://www.hongwanji.or.jp 「Webラジオ番組」に、小林顕英(こばやし けんえい)師のご法話 『ともにあゆむ』 2007年7月第1週のテキストで読むこと、また放送を聞くことができます。 原文をお読みいただけると、一層の深いみ教えを味わうことができると存じます。 |
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