会員の便り No.19 (2010.12.15掲載) |
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H21年度中央仏教学院通信教育部卒業式に参加して 『卒業式および同窓会入会式・謝恩懇親会の段』 H21年度専修課程卒業 久志 東海 H21年度専修課程卒業 久志 律 『中央仏教学院訪問および親鸞聖人足跡巡拝の段』 H21年度学習課程卒業 正坊地 邦典 『西宮市の西福寺さんに豊原大成先生を訪うの段』 H21年度学習課程卒業 熊木 博 平成22年10月13日に、平成21年度の中央仏教学院通信教育卒業式および同窓会入会式・謝恩懇親会が開催されましたので出席して参りました。 また、翌14日には、ご本山の晨朝勤行にお参りし、中央仏教学院に赴き、学生さん達の勤式・伝道実習を見学させて頂きました。 また、京都市内の、六角堂及び吉水草庵跡の安養寺を訪ね、親鸞聖人を偲びました。午後には、兵庫県西宮市の西福寺に卒業奉告参拝し、築地別院で大変お世話になった前ご輪番豊原大成先生から心温まるご指導を頂きました。 卒業式、同窓会入会式、謝恩懇親会及び卒業旅行の概要と感じたことを分担して下記に纏めましたのでご報告致します。 |
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平成22年10月13日(水)受付10:30〜11:20ということでしたので、群馬県伊勢崎駅を6:09発の電車に乗り、高崎駅から新幹線を乗り継いで京都駅にAM10:11に到着しました。徒歩にて本願寺に向かい、一般書店で購入できない勤行集-教師教習用-CDを購入するため本願寺ブックセンターを経由して、聞法会館3階の卒業式会場まで、夫婦で参りました。 会場には、11:00頃に到着しましたが、既に全国各地からの数多くの卒業生が到着されており、非常ににぎやかでした。東京地区学習会の仲間のお顔を久しぶりに拝見でき、「卒業おめでとう、得度はいつするの?」といった声が飛び交うと共に、週末の築地別院で学びを共にしていた時の頃が懐かしく思えてなりませんでした。 卒業式は12:00より、真宗宗歌の合唱、『讃仏偈』をお勤めした後、各課程の代表者への卒業証書の授与、中央仏教学院長の式辞に続いて、本願寺派総局、講師代表、同窓会長の皆様からお祝いの言葉を頂きました。式の終了後に、卒業生全員に一人ひとりに卒業証書を授与して頂きました。更に、記念品として、大谷嬉子前お裏方様の御歌 「学びなむ、なごき光りにつつまるる身のよろこびを世につたふべく」 と、ご染筆下された色紙(複製)を本願寺の特別のおはからいによって、頂きました。 式終了後は、記念写真の撮影を課程毎に行い、通信教育同窓会主催による、謝恩懇親会に出席させて頂きました。東京地区は3テーブルに陣取って、話に花を咲かせつつ、先生方に挨拶を行いました。先生の中には、安芸教区山県太田組の山深い私の田舎の寺院にまで、報恩講の御講師として来て頂くということで、大変驚きました。謝恩会は約2時間で終了しましたが、東京地区つどいの会の熊木前代表は、余興で尺八演奏(岸壁の母、アメイジング・グレース)を披露され、皆さんが熱心に聴いていました。また、終了時の締めには東京地区の卒業生私達が指名され、壇上に上がり、校歌の斉唱を行い、楽しくもにぎやかな中、謝恩会は終了致しました。(東京地区の学習会では、仏教讃歌を練習していることを同窓会本部でもご存知とのことで、例年、壇上に上がるのが恒例になっているようです) 2次会は17:30過ぎに、東京地区、東北地区、滋賀の方達と更に話を咲かせました。その中で、一つ考えさせられることがありました。食事をしてお開きにするとき、料理が沢山テーブルの上に残っていました。すると、「食前の言葉」で言っていることをもう一度、考えてみてください。と声が上がりました。全く、その通りです。衣・食・住、生活の3要素のうち、最も重要な「食」を勿体ない事にしている私自身の考えを直さなければ、せっかくの学びもただの形でしかないと、考えさせられました。そういう気付きを得ながら、2次会を終え解散となりました。 卒業式への参加は、正にこれからがスタートであると認識させられるとともに、多くの法友にめぐり合わせて頂けたことに、大変有難い思いを頂きました。 --------------------------------------------------- H21年度専修課程卒業 久志 律 主人と群馬から出てきた私の目に、ご本山の大屋根が飛び込んでくると、荷物のキャスターが コロコロ暴れるのも気にせず小走りになっていました。門の所では、『よーし、左足から前に出て、一揖だ』と心の中で、緊張していました。入った途端に、脇から、ご婦人に「ようこそ、おいで下さいました。」と声を掛けられ一気に、笑顔があふれました。 卒業式の受付では、久しぶりの同級生や先生方、満面の笑みで迎えてくれる先輩方を見て、大感激でした。 卒業式が始まると、会場が椅子席だったので、椅子に座ったときのご作法が気になり、背筋を伸ばして、『式章とお念珠は、曲がっていないか足下は揃っているのか、この瞬間誰に見られているか分からない。はっ!阿弥陀さんと一緒の私じゃないか。』などと考えていました。 本願寺派総局を代表されて、総務の池田行信先生(昨年の二月まで、東京地区つどいの会の講師を勤めて頂きました)の祝辞では、「卒業は始まりです」とのお言葉を頂きました。同じ学びを共にする場で知り合った私たちは、卒業した・しないによらず、本願の光に陰を色濃く照らし出されている身と知らされました。卒業するという事は、この学びを糧に、自ら法を求め、聞法して自らを見つめていく更なる展開の第一歩ではないでしょうか。 同窓会入会式では、本部役員や各支部長の紹介の後、新入会員を代表して、東京地区つどいの会・熊木前代表が、「後に生れんひとは前を訪うが如く、これからは私たち自身も、この同窓会を盛り上げていく。宜しくお願いします。」と、入会の挨拶を行いました。引き続いて行われた謝恩懇親会では、会場にいる全員に、ご法儀のお話が通じる、仏教用語全面OK、学びを深めた全国からの先輩方がわんさか居ると思うと、初対面なのに親戚みたいな親近感が湧いてきて不思議でした。更に、辻同窓会長には、東京地区の同窓会新入生の輪に飛び入り参加され、舞台で一緒になって校歌を歌って頂き、とても頼もしく、そして温かい気持ちになりました。 最後に、多くの皆様に支えられている私である事に感謝し、これからも聞法を続けていく心持ちを新たにしました。有り難うございました。 南無阿弥陀。南無阿弥陀仏。 尚、写真は、専修課程卒業生前田光久さんのウエブアルバムから転載させて頂きました。 |
緊張する私達を温かく 迎えてくれる御影堂門 大遠忌法要の準備も整った 御影堂 聞法会館3階の卒業式会場 開会を待つ法友の皆さん 卒業式で式辞を述べられる 白川晴顕院長 (『学びの友』平成22年12月号より) 「同窓会を盛り上げていく」 と、挨拶する熊木さん 壇上で校歌斉唱する 東京地区集いの会の卒業生 卒業を慶び合う 専修課程卒業生一同 |
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平成22年10月14日(木)午前 『中央仏教学院訪問および京都市内親鸞聖人足跡巡拝の段』 H21年度学習課程卒業 正坊地 邦典 聞法会館にて朝5時に起床し、すがすがしい中、本願寺のお晨朝のお勤めにお参りしました。朝6時より阿弥陀堂にて『讃仏偈』のお勤めをし、続いて御影堂に移り、『正信念仏偈』のお勤めをさせて頂きました。本日のお勤めは、「行譜」で和讃は「本師源空」からの繰り読みでありました。調声の先生は、非常にゆっくりと発声され、同音の私達もゆっくり落ち着いてお勤めすることができました。ご本山で厳かな雰囲気の中、お晨朝のお勤めにお参りし、3年間の中央仏教学院(通信教育)で学び無事卒業することができたことを心からお礼申し上げました。 お晨朝終了後、朝食を済ませて有志9名(東京地区7名、東北地区2名)は、全日制学生の授業を参観するために、聞法会館からタクシーに分乗し、中央仏教学院に移動しました。学院では、福岡地区の仲間9名も加わり、総勢18名を通信教育部長姉嵜博幸先生がにこやかに出迎えて下さり、先生に卒業式のお礼を申し上げ、しばしの懇談をさせて頂きました。学院長白川晴顕先生のご挨拶も頂きました。 講堂では、学校教育部の学生さん全員が集まり、「勤式・伝道実習」(正信念仏偈作法及び法話)が行われ、担当の先生の厳しくも丁寧な指導の下、実習が整然と進められ、私達も見学させて頂き、共に学ばせて頂きました。廊下ですれちがう学生さん達は、気持ちの良い挨拶を交わしてくれました。姉嵜先生のお話では、学生さん達は、学校教育部のキャッチフレーズである「わずか1年で自分がこれだけ変わるとは」通り、大きく変わり、成長してくれるとのことでした。講堂の「学仏大悲心」の額の前で記念写真を撮影致しました。中央仏教学院に隣接する本願寺角坊(すみのぼう:親鸞聖人往生の地―善法院のあったところと伝えられる)は、全体が改築中でお参りも適わず、残念なことでありました。名残惜しき中、姉嵜先生はじめ先生方のお見送りを受け、中央仏教学院を後にしました。 私達は、地下鉄に乗って京都の中心「六角堂」に向かいました。六角堂は、聖徳太子が建立されたお寺と伝えられ、正式には、紫雲山頂法寺と言い、華道池坊でも有名なお寺であり、西国三十三所巡礼所のひとつで観音信仰の霊場でもあり参詣者の多いお寺です。 比叡山の修行に行きづまった親鸞聖人は、救世観音の教えを得ようと百ケ日の参籠を決意され参籠を続けられましたが、九十五日目に救世観音の夢告を受け、比叡山を降り、吉水の法然聖人の門をたたき、他力の法門に入られました。境内には、「親鸞堂」が建てられ、比叡山から六角堂を訪ねた時の姿を自刻したと伝えられる木像「草鞋の御影」と夢のお告げを聞く姿「夢想之像」が安置されており、若き親鸞聖人が、「生死出ずべき道」を求めて、真剣に参籠された姿が偲ばれます。 私達は、六角堂に別れを告げ、法然聖人が、専修念仏を説かれた「吉水草庵」跡に建つ「安養寺」を訪ねました。吉水草庵は、若き親鸞聖人が、“よきひと”法然聖人のもとで他力の法門を学ばれ、充実した日々を過ごされた場所であります。承元の法難により念仏停止となり、吉水草庵は、親鸞聖人得度の師慈円和尚の経営するところとなり、慈円山大乗院安養寺と号され、慈円山は「円山」と称されました。明治になり、広大な寺地は、没収され、おなじみの円山公園となりました。本堂には、『正信念仏偈』にある「選択本願弘悪世」「常覆真実信心天」のお言葉が、掛けられており、私達にとっても親しみ深いものでした。安養寺は、時宗の寺院で、法然聖人、親鸞聖人ゆかりの寺として知られますが、お参りされる方や観光客も少なく、非常に落ち着いた中で心静かにお参りできたことを有難く思いました。 |
「学仏大悲心」の額の掛かる 中仏講堂 親鸞聖人ゆかりの 六角堂「親鸞堂」 法然聖人・親鸞聖人 ゆかりの安養寺門前 親しみ深い言葉の掛かる 安養寺本堂 |
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平成22年10月14日(木)午後 『西宮市の西福寺さんに豊原大成先生を訪うの段』 H21年度学習課程卒業 熊木 博 10月14日(木)の午後1時、有志7名(正坊地さん夫妻・久志さん夫妻・東北地区から参加の廣田さん親子・筆者)は、京都駅から東海道本線を西に約60qほど下った兵庫県の西宮駅まで参りました。目的は、今年の春まで築地別院の輪番を勤められた豊原大成先生(元総長)を、西宮の西福寺さんにお訪ねすることでした。 親鸞聖人はご自身の主著、『教行信証』の最後の段で、道綽禅師の「安楽集」という書物から、「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ」と、引用されています【註釈版聖典474頁】。このことにつきましては、学習会や法話会などでも何度となく聞かせて頂きましたので、卒業証書授与式で京都へ行った際には、東京地区つどいの会として大変お世話になりました築地別院前輪番の豊原先生を訪い、法友と共に卒業ができたことのご報告と御礼を申し上げたいと考えておりました。また、豊原先生は平成7年1月の阪神・淡路大震災で御家族(お父様・奥様・お嬢様)を一度に亡くされておられますので、皆でお念仏を申し上げに西福寺さんを訪れたいとも思っておりました。 770余年の昔、親鸞聖人は約20年間滞在された関東の地(稲田)を発たれ、ご執筆の『教行信証』を完成させるために、経典などが沢山揃っている京都にお帰りになられました。今の時代、新幹線を利用すればいとも簡単に京都まで帰ることはできるでありましょう。しかし、60歳を超えられた御開山は当時、草鞋を履き、恐らく『教行信証』の原稿がギッシリ詰まった笈(おい)を背負い、杖をついて峠を越え谷を下り、何本もの大きな川を渡り、盗賊や追いはぎなどの危険にさらされながらも、行く先々ではお念仏の教えを説かれたり、それはそれは難儀な帰洛であったに違いありません。 帰洛後のことは、『歎異抄』第2条によりますと、京都におられる親鸞聖人をたよって、はるばる北関東から十幾つもの国々の境を越え、教えを尋ねて行かれた門弟のことを、「身命をかえりみずして」と表現されています。お弟子たちが命懸けで親鸞聖人を訪ねられていることは、念仏するものは地獄におちると言い脅す人がいることなどから、お念仏以外に極楽に生まれてゆく道があるような大きな誤解もあって、問いただされたことでありましょう。当時、「お念仏」の教えに生きるということは、命を懸けるほどの大きな問題をかかえ、身に危険を感じながらの「お念仏」であったことが窺えます【註釈版聖典832頁】。 私たち7人を乗せた電車は、午後1時に京都駅を出発しました。車中では買い込んだサンドイッチやおにぎりを頂きながら、間もなく豊原先生と再会できるワクワクした気持ちを、関東のお弟子さんたちが京都の御開山を訪ねて行かれる気持ちとダブらせてみたり、また50年以上も昔の映画「二十四の瞳」で、子ども たちが担任の大石先生(高峰秀子)を訪ねて行くシーンを思い出したりして、落ち着きませんでした。 西宮駅に近づきますと、右手の車窓から西福寺さんの大きな瓦屋根が見えてきました。お寺は駅からごく近い所にありました。山門をくぐり抜けますと正面に大きな本堂があり、右手には親鸞聖人の銅像を見上げることができます。西福寺さんの聖人像は大谷本廟の銅像と同じように、笠をかぶっておられませんので、ご開山のお顔をハッキリと窺うことができます。 大変にお忙しい豊原先生は時間をつくって下さり、私たちを応接室に通してくださいました。角帯を締められた着物姿の豊原先生は、とてもお元気で、矍鑠(かくしゃく)とされた姿勢正しいお姿は、憧れのジェントルマンです。先生のご著書「輪番独語」にも出て参りますが、インドに留学されたときのお話しや、人生哲学的なお話しなど、一時間半に渡って、談笑させて頂きました。中でも、30歳過ぎまで企業の野球部に在籍し、後に少年野球の監督の経験もある私にとりましては、豊原先生が旧制中学時代に夏の甲子園大会に出場されたご経験、あるいは京都大学では投手を、同大学院時代には監督をされたお話に、ますますの親近感を感じますとともに、文武両道の精神を教えられた気がいたしました。 私たちは帰り際に、本堂でお参りをさせて頂きました。また、豊原先生はご自身が揮毫された色紙「念佛」をプレゼントしてくださり、早速わが家では目立つ場所にと、お仏壇のある床の間に掛けさせて頂き、「お念仏」を忘れることのないように、自分自身に言い聞かせているところです。 最後になりましたが、参加された皆さんに、「豊原先生と再会できたことの感想」を一言ずつ語って頂きました。 ○正坊地さん夫妻: 豊原先生は、「老僧独語」と言うブログをお書きになっています。中に「原稿用紙」「ある孤独死」と言う記事があります。先生は、人間としての極限の悲しみを乗越えられ、私達を「慈眼」でご指導頂いたことに感謝せずにはおれません。西福寺の門前でいつまでも見送って下さったお姿を忘れることはできません。 〇久志 東海さん: 色々と話をさせて頂きましたが、とても気さくで話しやすい先生でした。話をすればするほど、私の経験からは考えられない豊富な経験と学びの深さを痛感させられました。私の疑問をぶつけると何でも答えを返してくれる存在、私もこれから僧侶→住職という道を歩むからには、いつかは豊原先生のようになりたいと思いました。 ○久志 律さん: 豊原先生は、にこやかな眼差しに、博学でいらっしゃる上、気さくなお人柄、何といっても、お話していて楽しいのです。『ここは、仏法を聞きたくなるお寺なのだ』と感じました。そして、先生を通してお敬いの心の厚みを感じさせて頂くことができ、胸が熱くなるのを覚えました。大変有り難うございました。 以上 |
西福寺境内に立つ親鸞聖人像 西福寺本堂にて 豊原先生と共に 一人ひとりに下さった 豊原先生揮毫「念仏」 豊原先生が築地別院時代に お書きになった本『輪番独語』 |
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