会員の便り No.21
(2011.4.26掲載)
 
    
東日本大震災に当たり西本願寺仙台別院で支援活動の報告 
賛助会員(先輩講師) 田中 頼子 

 東北自動車道が一般車も通れるようになったので、帰りのガソリンが心配だったけれど、4月2日、仙台に行きました。
 息子がスーパーも開いていないし、食料、特に生鮮食料が手に入らないと言うので、野菜を満載して、5時間かけて仙台入りしました。息子の家は、おかげさまでそれほど被害はなく、本が落ち、食器が割れたくらいでした。
 そこで、西本願寺仙台別院に設置されている災害ボランティアセンターに、関東で協力できることがあるか、様子を聞きに行きました。別院に行ったら 、ちょうど石巻に行くトラックに、救援物資を積み込むところでした。手が足りないので、バケツリレーのように、水や乾電池、トイレットペイパー、下着など、現地で要望された品を積み込む一員になりました。仙台別院の仏教婦人会の人たちは、毎日、別院やボランティアセンターに本山から派遣されている職員のための食事作りをしていました。ここでも手が足りないというので、私も手伝うことになりました。
 宮城野区の岡田小学校の避難所で、炊き出しをすることになり、準備段階からかかわりました。昼食の350人分のおでんと肉うどんを、全国から来た若い僧侶たちと、自衛隊の釜を借りて作りました。自衛隊は夕食だけ作るので、朝、昼はパンなどで済ませている避難者の方たちに喜んでいただきました。
 宮城野区の津波に襲われた専能寺というお寺の片付けにも行きました。津波は一階の天井近くまで到達し、本堂には津波で流された車が2台突っ込んでいて、建物の中は泥と瓦礫で埋まっていたそうです。住職一家は無事だったのですが、本堂や建物は屋根と柱くらいしか残らず、復旧できないと思われていたのが、全国から来た若い僧侶や門徒の人たちがボランティアで泥や瓦礫をかきだし、何とか建物の中に入れるようになっていました。住職一家は無事だったけれど、檀家の人たち50人が亡くなったので、毎日火葬場に通っていると言っておられました。ガスも電気も復旧しておらず、寺に住めるような状態ではないので、妹さんのところに避難しているそうです。寺の周りの家も津波に襲われて大きく壊れて傾き、とても住めるような状態ではなく、田んぼだったところは泥であふれ、車が何台もひっくり返っていました。
 津波からひと月以上経つのに、被害の場所が広範囲だから、なかなか復旧復興はむずかしいですね。
 息子のために仙台に行ったのに、いつの間にか災害ボランティアになっていました。あの惨状を見たら、放ってはおけませんでした。

 また五月の連休には、齋藤さん、久志さん夫妻たち10人と行く予定にしています。


                                2011.4.20記


津波に襲われた専能寺


津波で倒された専能寺の鐘楼


炊き出しの準備



西本願寺の支援車と筆者