会員の便り No.23
(2011.9.29掲載)
 
    

  「ニューヨーク本願寺仏教会参拝の記」

賛助会員(H21年度学習課程卒業) 正坊地 邦典

1. はじめに
 この夏、次女のお産に伴う生活支援のため、妻と共に2ケ月の間、アメリカのニューヨークに滞在し、生活する機会に恵まれました。ニューヨークは、今でも世界の経済や文化の中心地と言われ、多くの人種が住み、多くの言語が話され(一説には、160種の言語が話されていると言う)、多様で、若くて、活気のある街でした。滞在期間中に、ニューヨーク本願寺仏教会にお参りするご縁をいただきました。私達が、ニューヨーク本願寺仏教会にお参りさせていただきました折には、ご住職松林芳秀師、坊守様及びメンバーの皆様に暖かく迎えていただき、心に残る経験をさせていただきました。ニューヨーク本願寺仏教会に集われる方々は、日系人中心ではなく、非日系人の方々が多数を占め、私にとって非常に興味深い事柄でありました。現代の日本に生きる私達にとっても考えさせられることの多い日々でありました。東京地区中央仏教学院通信教育生の会及び同窓会の皆様にもご参考までに報告させていただきます。

2. ニューヨーク本願寺仏教会での経験
  ニューヨーク本願寺仏教会は、今を去ること73年前の1938年に関法善師により創設され、第二次世界大戦及びその後の苦難の時を経て今日に至るまで相続されてきたとのことであり、先人のご苦労に頭の下がる思いがしました。ニューヨーク本願寺仏教会は、ニューヨーク・マンハッタンの西を流れるハドソン河沿いのリバー・サイド公園を臨む高級住宅街の一角にあり、元邸宅をそのまま寺院とし、後述する親鸞聖人像がなければ、寺院とは分からず一般の邸宅であると見間違う様に思われました。

 ニューヨーク本願寺仏教会は、英文では「New York Buddhist Church」と表記されます。ホームページのアドレスを下記に示しますが、「Hongwanji」や「Temple」などの字も無く、名前からは浄土真宗のお寺とは判断できず、超宗派・汎仏教の施設かなと思う程でした。後述しますケネス・タナカ師の「アメリカの仏教」により、アメリカにおける浄土真宗の歴史を振りかえって見ますと、日本の真珠湾奇襲による第2次世界大戦勃発後、日系アメリカ人は収容所への強制収容や様々な活動の制限などが果たせられましたが、その厳しい試練の中で浄土真宗教団は、1944年に開かれた大会で大胆な改革を行い、「第一言語として英語を使うこと」「教団名を Buddhist Churches of America とすること」「在家信徒の力の強化をすること」等を採択し、「アメリカ化」を推進しました。現在のニューヨーク本願寺仏教会でも、英語が中心に使われていますし、メンバー中心の理事会で方針が決められ、日曜法要などの行事は、メンバーが中心になって運営されているのは、その伝統が受け継がれ、発展してきたものと思われます。
  ニューヨーク本願寺仏教会:http://www.newyorkbuddhistchurch.org/

 ニューヨーク本願寺仏教会の一角には、広島で被爆された親鸞聖人の立像があります。この親鸞聖人の立像は、元は広島市西区三滝にあり、1945年の原爆の投下に際し、被爆し、1955年に広島の実業家から世界の平和を願ってニューヨーク本願寺仏教会に寄贈され、記念に鈴木大拙師が「世界の平和と調和」を願う講演をされたとのことです。ニューヨークの地下鉄(メトロ)1号線の86番通り駅のホームに、ニューヨーク・マンハッタンの日常生活を示すタイル画が掲示されていますが、その一つがこの親鸞聖人立像であり、ニューヨークの市民生活の中で市民権を得ていると思いました。
 
 ニューヨーク本願寺仏教会では、日曜法要(日本語、英語)、瞑想(メディテーション)、教義学習会、太鼓教室、日本舞踊教室等が定期的に行われ、メンバーの方々が中心になって運営されている様子が印象に残りました。日曜法要の日本語法要では、日系人の方々が、10〜15人参加されていましたが、英語法要では、30〜40人参加され、非日系人が多数であることに驚きました。私が、過去参拝したロスアンゼルスやハワイの本願寺別院や寺院では、日系人のメンバーが中心であり、日本からの移住者やその子孫の日系人の心の拠り所になっていたと理解していましたが、ここニューヨークでは、様子がかなり違っていることに驚きました。私は、かねてより「アメリカはキリスト教の国、そこに、仏教、特に親鸞聖人の他力の思想が受け入れられるのだろうか?キリスト教との違いをきちんと説明できた上で、理解されるのであろうか?」と言う疑問を持ち続けていました。ニューヨーク本願寺仏教会には、人種・宗教的バックグラウンド・人生経験・生活習慣・言語等が異なる多様な人びとが、親鸞聖人のみ教えを学ぶために日曜法要などに参拝されている姿を拝見して、深く感銘を受けました。

 私は、ニューヨーク本願寺仏教会に集われる方々の「動機」について、関心を持っておりました。一部の方しか、聞くことはできなったのですが、「仏教は、歴史的に実在した人が説かれた教えであり、奇跡を説かないから学びたいと思った」と言われる方がいました。アメリカ、特にニューヨークは、宗教に対する考え方も多様で、仏教徒と言う自覚まではないにしても、自分の人生を仏教に照らして生きていこうと考える人も集われているようでした。また、多くの方々が、太鼓教室、日本舞踊教室に参加され、「コミュニティ」に参加することを楽しんでいるようでした。

 松林芳秀師から頂戴致した「浄土真宗の要綱」を帰国の飛行機の中で、拝読し、「釈尊のさとりは親鸞聖人のみ教えに帰結する」「浄土真宗は 大乗のなかの至極なり」と学ばせていただきました。また、「仏教東漸」と言う言葉と布教されてきた事実にも新鮮かつ深い感銘を受けました。親鸞聖人のみ教えが、個人の苦悩を救済する世界宗教へと変貌し伝播していることを知りました。また、参加させていただきました少人数の教義学習会では、西の方ハドソン河に沈み行く夕陽のもと、スイカをいただきながら師のご講義を拝聴したのも良き思いでとなりました。

 お盆法要にて、松林芳秀師が、法話をされ、目連尊者の母親への孝養の話を引きながら、「アメリカは、移民の国。皆さんの祖先は、それぞれの国からアメリカに来て、苦労の末、アメリカでの生活を築かれました。その苦労のお陰で今日の皆さんがあります。そのことに思いを致し、感謝しましょう。そして、盆踊りで心も身体も歓喜しましょう」と言うお言葉は、皆さんの心に響いていたように思いますし、私も素直に聞くことができました。
 また、7月10日には、ニューヨーク・マンハッタンの中心地ブライアント公園(日本で言えば、東京の日比谷公園に相当する)に於いて、ニューヨーク本願寺仏教会主催の「第62回盆踊り大会」が開催されました。盆踊り大会は、開会式、太鼓演奏、日本舞踊、そして、盆踊り(パート1,2,3)と4時間にわたり行われました。開会式では、アメリカ国旗及び仏旗を先頭に入場行進、アメリカ国歌斉唱、そして、ニューヨーク本願寺仏教会松林芳秀師、ニューヨーク市及び在ニューヨーク日本国総領事館のご挨拶がありました。盆踊り大会は、62回も連綿として続けられ、ニューヨークの市民生活に定着している行事と理解しました。盆踊りの参加者は、200名〜300名位はあったでしょうか。公園に散歩に来たついでに見学したり、飛び入りで踊った人も加えるとその2倍位の人が参加したと言えると思います。










セントラル・パークから臨む
摩天楼

































被爆された親鸞聖人立像



86番通りにある
親鸞聖人立像モザイク画






日曜法要で法話をされる
松林芳秀師







ブライアント公園から望む
エンパイアステートビル


盆踊り開会式
(於ブライアント公園)


にぎやかな太鼓の演奏


みんな揃って盆踊り

3.心に残る2冊の本―日本とアメリカの仏教を考えながら― 
 私は、ニューヨーク滞在中、2冊の本を拝読しました。上田義文師著「現代を生きる仏教的人間」(本願寺出版社)及びケネス・タナカ師著「アメリカ仏教―仏教も変わる、アメリカも変わる」(武蔵野大学出版会)です。

 上田義文師は、中央仏教学院専修課程3年次の「仏教」のテキストもお書きになったおなじみの先生です(平成5年4月にご逝去)。上田義文師は「現代を生きる仏教的人間」において、「西洋の人間観と仏教の人間観」を対比させつつ明らかにされ、「仏教の人間観の現代的意義」につき述べられています。私にとって難解な本でしたが、要点を私なりに纏めてみますと以下のようになると思います。

 ○西洋の伝統的な人間観は、ギリシャ哲学によって築きあげられた哲学的人間観とキリスト教によって培われた宗教的人間観の融合統一されたものである。ギリシャ哲学では、人間は“理性”を持つことにより神と連なるものと考え、人間と動物の間に絶対的な境界線を引いた。キリスト教では、人間は神の被造物であり、他の全ての被造物を支配するよう神から決められているとみた。その人間は神から与えられた自由意志の誤用によって罪に堕し、神の力によって罪から救われるほかに、人間が本来の人間性を実現しうる道は無い。

 ○近代の進化論の人間観は、人間と動物を連続的なものと考え、人間の神への連なりを切りすててしまった。人間は、他の全ての動物より優れた知性によって自然界を探求し、その法則を知り、それによって自然界を支配し得る力を持っていると考える。自然界と人間社会を合理的に眺め、合理的に処理することによって、人間の物質的・精神的欲望を充たし、それによって幸福が得られると考えた。

 ○現代は、上記ふたつの人間観が分裂したままで統一を失っており、現代の人間観の根本問題がここにある。

 ○仏教の人間観は、人間・動物共に虚妄・無知・無明・不浄な衆生であり、平等であると見た。即ち、人間の理性をも衆生性の中に含めて、その衆生の全体を動物性(煩悩性)として自覚することによって、動物性(感覚や欲望・本能)に即して直ちに仏性を開顕する。

 ○仏教の人間観の現代的意義は、多くの宗教の人間観のように、いきなり神の立場に立って人間を見るのではなくて、人間の立場から出発して人間を探求し、人間の究極的な本来性(本来の自己―真の人間)に到達することができる道があることを示唆する。

 ケネス・タナカ師が「アメリカ仏教―仏教も変わる、アメリカも変わる」に書かれたことの要点を私なりに纏めてみますと以下のようになると思います。

 ○仏教は、アメリカの宗教として定着しつつあり、仏教人口は、@仏教徒300万人、A仏教同調者250万人、B仏教に影響されている者2500万人に上り、仏教に対する印象は、“寛容”、“平和的”と言う肯定的な言葉が連想されている。

 ○アメリカ仏教の特徴は、@平等化(在家者中心、女性の地位向上)、Aメディテーション中心(プラクティス=“行”重視)、B参加仏教(社会活動への参加)、C超宗派性(複数の宗派所属、超宗派連合)、D個人化宗教(参加単位は家族から個人へ)にある。

 ○アメリカは、“ユダヤ・キリスト教の国”と安易には言えなくなり、仏教やイスラム教の伸びに加えて、宗教の無所属層が全人口の16%に達したことで、さらに、アメリカの宗教多元化社会への移行を促している。

 アメリカにおける仏教は、必ずしも上田義文師の言われる「西洋の人間観の分裂の根本問題を解決するために、人間の立場から出発して人間を探求し、人間の究極的な本来性(本来の自己―真の人間)に到達する」と言う本質的な視点ばかりではなく、瞑想により日常のストレス解消や物事に対する余裕を感じる等、現実的な視点からも受容されているように思われました。

 盆踊りの行われたブライアント公園前に「紀伊国屋書店」がありますが、店内に並んでいる本を見ると仏教書の多くは「禅(メディテーション)」「ダライラマ師のチベット仏教」の本であり、今、アメリカの人びとの関心がどこにあるかが分かりました。  





 
上田義文師著
本願寺出版社







ケネス・タナカ師著
武蔵野大学出版会

 4. 「仏教東漸」―地球はひとつ、お互いに影響しながら伝播する仏教―
 上田義文師は、「日本の近代化とは、西洋化と同義である。日本の西洋化しつつあることを西洋化とは考えないで、単に日本の進歩であると考えるようになっている」と指摘されています。現代に生きる私達は、学校教育で「近代の進化論の人間観」に基づく「自然科学・技術」や「社会科学」の教育を受け、そして、社会活動(仕事や家庭生活)をしてきました。しかしながら、現代に生きる私達は、「人間はどこを目指して生きるべきか?」と言う問いに答えを持てずにいます。このことを上田義文師は、「現代は、人間観が分裂したままで統一を失っており、現代の人間観の根本問題がここにある」と喝破されています。

 日本の中でも、都市部と地方では異なる面もあるかと思いますが、首都圏では、昔からの先祖代々伝えられた伝統的な生活習慣やそれぞれの家庭に伝承される宗教的雰囲気を持たず、受け継がず、育ち、日常生活しているのが一般的ではないでしょうか。一人ひとりを見ると、厳しい競争社会の中で、孤立化し、それぞれの立場で、迷い、悩み、生き抜いてきており、生きる支えを求めています。宗教の面で見ても、従来の「家」の宗教は崩れつつあり、現代の宗教としては「個人の苦悩を救済する宗教=世界宗教」が、真剣に求められていると思います。そして、個人の苦悩を契機として、生に執着するのみではなく、生と死を貫く永遠の問題に直面し、目覚めていくことに導かれていくことになると思います。

 また、松林芳秀師は「浄土真宗の要綱」において、「仏教東漸」の歴史を述べられています。

 ○仏教は過去2500年にわたり、インドより地球を東漸し続けました。第二次世界大戦後、浄土真宗の布教体制は、更に南アメリカ大陸のブラジルやその他の地域にも築かれました。浄土真宗は、更にヨーロッパの国々、メキシコやオーストラリアにも紹介されていきました。

 大西洋を中心にした世界地図を俯瞰すると、日本など東アジアは、「極東(Far East)」と呼ばれていました。仏教は、端っこの極東・日本(西)からアメリカ(東)へと「東漸」し、アメリカの人びとの生きる支えとして根付きつつあります。この事実を知って、不思議さを思い、幾多の苦難を乗越えて法を伝えてこられた多くの先人のご苦労に頭を下げるのみです。

 地球は、「ひとつの球」であり、世界は、ひとつにつながっており、世界の国々は、お互いに影響しあい、学びあいながらつながりあっていると思います。アメリカ仏教の受容・発展の姿は、家族の仏教から個人の仏教に代わりつつある日本にも、アメリカ(西)から日本(東)に伝播し「東漸」してくるのではないでしょうか。そのような目でアメリカ仏教の受容・発展の過去・現在・未来の姿を学んでいくことは私達にとっても大事なことであり、有意義なことであると思いつつ、帰国の途に着きました。

以上

 
ニューヨークの街角点描
−世界はひとつ−


ロックフェラーセンター
前にはためく日章旗


10年目を迎える
グラウンド・ゼロ


国連本部前のモニュメント
“No More Gun”


広がる連帯の輪:
がんばれ日本
(於タイムススクエア)


やった!なでしこジャパン
JAPAN BEATS US
(於タイムススクエア)